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☆☆ 
大多摩ハム 会社概要 ☆☆

社   名   株式会社 大多摩ハム小林商会

本社・工場  住 所  〒197−8601 東京都福生市福生785地図はこちら
        電 話  042−551−1321(代)
        FAX  042−551−9409

直 営 店  立川高島屋 東京都立川市曙町2−39−3 TEL:042-525-2111
        シュトゥーベン・オータマ 東京都福生市福生785 TEL:042-551-1325

創   業  昭和7年

取引銀行  東京三菱UFJ銀行、西武信用金庫、日本政策金融公庫、三井住友銀行

資本金    30,000,000円

主な取引先 高島屋、伊勢丹※、京王百貨店※、小田急百貨店※ (※はギフト期)
        明治屋、サミット、オーケーストア、京王ストア、他、専門店・スーパー

        東京都、埼玉県の学校給食、首都圏の消費者グループ 、等


アクセス

JR青梅線福生駅東口より徒歩3分。駅から近くて便利です!
新宿駅から中央線青梅特別快速で46分
新宿駅からの時刻表 平日 土日祝日

お車では中央高速八王子ICより約20分
圏央道青梅ICより約15分
(詳しい地図はこちら)
国道16号の第2ゲート前交差点より500m
駐車場完備(大型可)。




企業理念
         

「誠」の一文字が当社の企業理念、

Coporate Philosophy です。






創業社長・小林榮次の父・小林種作(俳号・喜山)による書「誠」。

言った通りのことを成す(人としての責任を貫く)ことで

言った通りにことが成る(物事が成就する)という。

この会社が少しでも世のお役に立つために必要なことは

長い社訓を玉条に掲げ、大仰に唱えることではなく

日々「誠」の一文字を黙々と貫くことであるという。

ドイツの職人魂にも共通するこの精神を

大多摩ハムは守り続けたいと思います。







☆☆ 大多摩ハム物語 ☆☆

(敬称略)




(1)歴史に残る「ドイツ式」の血統


榮次と父・種作(右)
1907年
創業者小林榮次は、長野県長岡村(現中野市)の旧家に父種作、母とらの間に生れた。

種作の9代前の先祖は石田三成の家臣、渡邉氏であったが関ヶ原で敗れ、信州に落ちのびて名を隠し小林姓に改めたことが寺の古文書に残っている。

榮次は中野農商学校商業科へ入学したが、2年の時校舎の火災で長期休校の見通しとなったため退学手続きを取り東京に向かう。

アウグスト・ローマイヤ
1921年
青雲の志を持って一家両親弟妹を率いて上京した榮次は、旅館を人に尋ねたところ、「自分は近所の工場に勤めているが、そこで今弟子を求めている」と紹介されたのが、日本にドイツ式ハムを伝えたアウグスト・ローマイヤだった。

ローマイヤは第一次世界大戦で捕虜となり日本に来たが、本国帰還許可が出てからも日本に残る決心をし、1921年(大正10年)、日本でのハム造りを正式に始め、帝国ホテルなど一流ホテル・レストランに納めた。

その「ローマイヤ元年」といえる1921年に、全く偶然かつ歴史的に、榮次はローマイヤと出会い、弟子入りしたのである。

工場は南品川にあった。

修行中の榮次

ローマイヤは仕事には大変厳しかった。特に衛生には潔癖性とも言えるほどだった。

カッターなどを弟子に洗わせた後は、ポケットから折りたたみナイフを取り出し、機械の裏をこすり、少しでも汚れが残っていると、もう一度はじめから洗い直させた。

音を上げて去っていく弟子も多い中、榮次はめきめきと技術を習得していった

榮次は機械洗いから配達まで誠実に働いたため、ローマイヤは非常に彼を信用し可愛がり、都立第一商業高校に通わせた上、ハムを漬込む秘密の地下室には彼しか入れず、漬込、調合など全ての作業を彼にしか手伝わせなかったという。

ローマイヤが一度故国のドイツに帰った時は弱冠20才の榮次が工場主任として一切の責任を持って切り回した。ローマイヤ直弟子の筆頭に登りつめたのである。

一方、「ロースハム」は日本独自のものであるといわれることが多いが、この誕生と普及に携わったのが、当時ローマイヤに勤務していた日本人、小林榮次であったことが資料に残されている。(注1)

ローマイヤはケテル、ヘルマン、ブッチングハウスなどのドイツ人技術者と共にウインナー、フランクフルト、ボロニアなどを日本に紹介した。榮次の後から水尾、八木下、稲葉、君塚の各氏も門下に加わった。

ローマイヤのレリーフ

日本にドイツ式のハムを伝えたのはローマイヤであること、そしてその貢献は極めて大きかったことから、後日、ローマイヤの胸像(レリーフ)を建立することになる。

下は現存するローマイヤの胸像建立趣意書である。


小林榮次はローマイヤの「一番弟子」の立場から発起人代表となっている。


 

注1 日本のJASロースハムに該当する、豚ロース肉を塩漬、燻製、過熱、冷却したハムはドイツにも昔からあります。
   それは「Kasseler Gekocht」(カスラー・ゲコホト)です(一例)。その意味でロースハムは日本が元祖というのは正しくありません。
   正しくは「日本式ロースハム」というべきでしょう。その日本式ロースハムは何が新しかったのかというと
   当時あまり価値の高くなかった豚ロース肉を牛腸に詰めて、糸を手巻きして体裁を整え、
   ボンレスハムと同格かそれ以上の製品に仕立てたことが斬新だったのです。
   その歴史的な牛腸詰めのロースハムはいまだに大多摩ハムで造り継がれています。実物はこちら
   これこそが「日本オリジナルのロースハム」と言い得るものでしょう。
   (すぐ下の小林榮次の写真の中央右側に積まれているハムがその腸詰め手巻きロースハムです)



(2)戦前・戦中〜波乱の創成期



腸詰め手巻きハムと榮次

1932年
 榮次はローマイヤに足掛け12年勤めた後、昭和7年荏原区で大多摩ハムの前身、「小林ハム商会」を設立して独立。
この年が大多摩ハムの創業年である。

当時の通い箱の表



陸軍航空審査部
特定利用工場

東京都荏原区二葉町
六ノ三四七

小林ハム製造工場

小林榮次殿

入隊の榮次
その後事業は順調に拡大。陸軍航空審査部指定工場となり、航空食料としてハム・ベーコン・ソーセージを納入し、福島県および山形県に分工場を設け、陸軍各部隊および病院等にも納品した。

山形に分工場があった
当時の通い箱の裏


山形県東置賜郡屋代村
大字竹森

山形県農業会農産加工

屋代分工場殿行



しかし 1945年 空襲により工場も自宅も全焼してしまう



(3)焼け跡からの再興とGHQ


製造工場内
1946年
 戦後の昭和21年、福生市に移り工場を再興。「大多摩ハム小林商会」と命名し、翌年株式会社に法人化した。

極めて衛生的な設備であり品質も高いことから、
縁あってGHQ連合軍の目にとまる。


マニトフ課長より授与


1949年マッカーサーGHQ本部は、大多摩ハムが衛生も品質も欧米の水準であることを評価し日本に駐留する外国人やその家族のために食品を供給するOSS(overseas supply store)の指定工場に認定し8月、日本で初めての衛生基準合格認証を与えた。



大多摩ハムがGHQからOSSへの供給を許されたのは1949年(昭和24年)の8月だが、この年の9月にまだ国会では「OSSに国産品を納められるよう、GHQに働きかけてはどうか」という議論をしていたことが衆議院議事録に残っている。

いかに大多摩ハムの認証が早かったかがわかる。

GHQより日本初の「衛生標準適格」に認証された
THIS ESTABLISHMENT
HAS BEEN INSPECTED
BY THIS HEADQUATER AND
FOUND TO POSSESS
THE REQUIRED STANDARDS
OF SANITATION

「本施設はGHQ民事部の検査により
衛生標準に適格であることを認証された」


大多摩ハムの
当時のポスターの最上部に
GHQ認証の文字が飾られている。
(クリックで拡大)
当時の作業場にも このポスターは貼られていた



(4)戦後の成長


生産は軌道に乗り、都内や多摩地域の専門店に広く納めるようになる。


1946年  小林榮次、東京都食肉加工工業協同組合理事長に就任。(39歳)

1952年  小林榮次、日本ハム・ソーセージ工業協同組合東京支部長に就任。(45歳)



カッタースタッファーは国産一号機

製造工場内

玄関前

事務所

都内に営業所を開設

車の荷降ろし



1962年 創業30周年を迎え大多摩ハムの基礎が確立した


創業30周年記念祝賀会

式典挨拶する榮次



(5)進取の社風



JAS第1号は大多摩ハム
1962年
大多摩ハムの工場は衛生設備、製造技術が優れており、
我が国初の、日本農林規格・JAS認定第1号工場となった。
1965年 小林榮次、日本ハム・ソーセージ工業協同組合
副理事長に就任

農林大臣賞のトロフィー
1966年 全日本ハム・ソーセージ品評会で
第1位となり農林大臣賞受賞

無添加ウインナーの旧パッケージ
1972年
消費者グループの強い要望を受け、無添加ハムを開発販売。

当時業界では常識外とよばれたが、その後ひとつのジャンルとして広く定着。
現在は首都圏の学校給食に無添加ハムを供給する一方、デパート、スーパー、共同購入グループにも納めている。

ドイツ式製法は「低添加」という伝統的なジャンルとして残す。
無添加はその延長線上の1ジャンルとして開発する。
このふたつのジャンルを平行して提供することで、添加物の科学的有用性を否定せずに消費者の選択枝を広げることに成功した。

叙勲時の榮次
1979年
榮次は永年に渡る業界への貢献と衛生事業の普及活動により、
勲四等瑞宝章の叙勲の栄に浴した。(1980年没・享年72)


          



(6)世代を超えて


第二代社長小林梅人
1980年
栄次の長男・梅人(のちに会長)が二代目の
代表取締役社長となる。(左・52歳)
(平成23年8月5日83才で逝去) 


1983年
梅人の長男、和人(現社長)が1年余ドイツ留学
ケルン市食肉組合長(オーバーマイスター),
カール・ハインツ・フロイツハイムに師事(右)。

カール・ハインツ・フロイツハイムと和人

トロフィーの授与
1985年 
世界食肉コンテスト(スラバクト)において金メダルを受賞。

1986年 
世界食肉コンテスト(PAYS-BAS)においてグランプリを受賞。

金メダル

工事中のシュトゥーベン
1995年
インターネット接続、ホームページを開設。http://otama.co.jp/

1997年 
和人が三代目の代表取締役社長に就任(37歳)、梅人が会長に就任。

完成したシュトゥーベン・オータマ
1998年 TOKYO−Xハム、ベーコン、ウインナーを販売開始。

2000年 ドイツレストラン・直売店「シュトゥーベン・オータマ」開店。

都庁の37階で授与
2000年 青梅税務署長より優良申告法人として
表敬状を授賞。(6回目)

2003年 
東京都知事より大多摩ハムのTOKYO−Xハムが
東京都地域特産品に認証される

2004年
小林和人、日本ハム・ソーセージ工業協同組合理事に就任

東京都地域特産品認証食品証明書

5ページからなる
カラーグラビアで特集
2006年
KHK「きょうの料理」で東京の名産としてカラー5ページの特集を組まれ、翌年NHK「たべもの一直線」でドキュメンタリー番組になる。


2007年
特許庁よりTOKYO-Xロースハム、東京Xウインナー等が大多摩ハムの登録商標に認定される。

NHK鹿島綾乃アナウンサーらが
丸2日間、工場を取材

福生市地球温暖化対策
イメージキャラクター「アッチー」
2008年
CO2を一社で年間77トン(16%)削減
福生市との協力で、環境省によりモデル事業に認定される

2009年
農水省より「食品産業CO2削減大賞優良賞」を受賞
2011年
農水省の食料自給率向上政策「フードアクションニッポンアワード2010」に東京うこっけいハムがプロダクト部門入賞

5月 酒類販売業免許取得
2012年
大多摩ハム創業80周年記念祝賀会を開催
2014年
TOKYO-X 3Dソーセージ「ローズパステート」が特許庁より登録商標に認められ、東京都から東京都地域特産品に認証される
 
   2016年
特許庁より「食肉練り製品の成型用器具及び成型方法」が特許に認められる(特許第5988448号)
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